働いていない自分に対して、罪悪感があるねん。
「価値がない」とも思ってしまうし。
こかは、こかやんか。
自分に価値がないなんて言ったらアカン。
大切なあなたへ。今日もおうちが恋しいこかです。
無職になって、半年が経ちました。
働いていないと、なんとなく後ろめたい気持ちになります。
職業欄に「無職」と書くことにも抵抗がありますね。
今回は、働いていない自分が感じる罪悪感や無価値感についてまとめます。
無職への罪悪感、後ろめたさ、無価値感の正体は、成果主義に慣れ切った「頑張るが美徳」という考え方かなと思います。
本日もぜひ最後までご覧ください。
働いていない自分への罪悪感や無価値感がある
なんとなく、働いていない自分に罪悪感や無価値感を感じてしまいます。
在職中、働いているからと言って、優越感に浸っていたわけではありません。
しかし、現在、胸を張って「無職」と言えません。
日々、忙しく働いてる人にとっては、「働かなくていいなんて夢のような話!」と思うかも。
わたし、誰の役にも立ってない
離職後、数ヶ月間はWebライティングをしていました。
直近の案件がうまくいかなかったためか、Webライティングをやる気が起きません。
すると、ふと思うんです。
「あ、わたし、誰の役にも立ってないな」って。
家事はしています
無職と言えど、専業主婦なので、家事はしています。
家事は評価しづらいですし、役に立っている感覚が乏しいんです。
頑張ったら褒められるという経験
高校受験、大学受験、就職試験、人事評価…。
今まで、頑張って成果を出したら褒められる、報われるという経験をしてきました。
頑張ることに価値があるという思い込み
「頑張って成果を出すことに価値がある」と思い込み、現在の「頑張っていない自分」を卑下しているんだと思います。
仕事もせずに、休憩室に行ってばかり
たとえば、職場で問題になる喫煙者の一服問題。
非喫煙者からしたら、「仕事もせずに、休憩室に行ってばかり!」と非難されるヤツです。
喫煙者の一服が避難されることからもわかるように、少しでも休むとけなされる、叱られるのが、日本社会の常。
欧米ならば、「結果さえ出していればいいよ」で済むでしょうが、そうはいきません。
日本では、無意識のうちに「努力しないとサボっている、怠けている」と思い込む風潮があるように思います。
「頑張ることが美徳」なんて、本当は思いたくないのに!
働いていない自分は努力していない=価値がない
働かず、世の中に何も価値を提供できていない自分は、価値がない…。
無価値な自分に罪悪感を感じ、漠然と不安になる、気持ちが不安定になる。
今のわたしはこんな感じです。
「働かなきゃ」ではなく「働きたい」と思える日まで
成果主義の社会で育ち、生きてるうちに、何ができるかで人間の価値を測るようになる。
すると、何もできない自分を責めてしまいます。
ですが本来、人間は、何ができるかなんて関係なく、生まれてきたら生きていいはずです。
「HSP」で「ひきこもり」だけど私は元気です。
「働いていない自分なんて、よくない!働かなきゃ」と頭で思っていても、「働きたい」と感じなければ心がついていきません。
本音を隠して、義務だけで行動したら、きっと心が壊れてしまいます。
「頑張って成果を出していることが素晴らしい」なんてものは、他人による評価です。
もっと自分で自分にオッケーを出せるようになれば、自分が本当にやりたいことが見えてきて、心と体が同時に動くはず。
「働いていない自分に感じる罪悪感や無価値感は、他者目線での評価によるものだ」とわかっただけでも、心が少し軽くなりました。
誰かと比べなくてよい、自分は自分でよい。
心からそう思える日まで、少し充電が必要なのかもしれません。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
一人でも多くの繊細さんが生きやすくなりますように。
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